冬の寒さが少し緩み始めた頃、田中誠一のもとに妻から一本の電話が入った。
「今度の週末、私、東京に行こうと思うの。」
妻の突然の提案に、誠一は少し驚いたが、心のどこかで嬉しさが込み上げてきた。普段は家族を優先し、自分の時間をほとんど取らない妻だが、久しぶりに二人だけの時間を過ごせると思うと、胸が躍った。
週末の土曜日、東京駅で待ち合わせた誠一は、久しぶりに見る妻の姿に少し緊張した。紺色のコートに白いマフラーを巻いた妻は、忙しい日常を忘れたように柔らかい笑顔を浮かべていた。
「なんか、ちょっと恥ずかしいね。」妻が照れくさそうに言う。
「確かに。でも、たまにはこういうのも悪くないだろう?」
二人は笑い合いながら、駅近くのカフェで暖かいコーヒーを飲み、今日のプランを話し合った。
最初に向かったのは浅草だった。雷門の赤い大提灯をくぐり、仲見世通りの賑やかな雰囲気を楽しむ。観光客が多い中、二人は焼きたての人形焼や揚げまんじゅうを食べながら歩いた。
「こういうの、子どもたちも喜びそうだよね。」妻が言う。
「次は家族みんなで来たいな。でも今日はお前と二人だから、贅沢に時間を使おう。」
誠一の言葉に妻は少し頬を染めながら微笑んだ。
次に向かったのはスカイツリー。展望台から東京の街を見下ろしながら、二人は手すりにもたれ掛かった。
「こうやって見ると、東京って本当に広いね。」妻がぽつりとつぶやく。
「そうだな。広い分、毎日が慌ただしくて、家のことを考える余裕もなくなる時がある。」
誠一のその言葉に、妻はそっと手を彼の手に重ねた。
「大丈夫。私たちは新潟で待ってるから。あなたはあなたの一手を東京で指してね。」
その言葉に、誠一は目頭が熱くなるのを感じた。普段強く振る舞う妻の内側にある、見えない支えの強さを改めて実感したのだ。
日が暮れると、二人は六本木の夜景を楽しみながら、静かなレストランで食事をとった。キャンドルの灯りが二人を優しく照らし、久しぶりに夫婦だけの会話が弾む。
「こんな贅沢、久しぶりだね。」妻がワインを口に運びながら言う。
「俺もだ。東京での生活は便利だけど、こうやってお前と一緒にいると、本当に大事なものを見つけられる気がする。」
妻は何も言わず、ただ微笑んだ。その目には、誠一への信頼と愛情が溢れていた。
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものだ。翌朝、東京駅のホームで見送る誠一の前に立つ妻は、少し寂しそうな顔をしていた。
「帰るの、嫌だな。」妻がつぶやく。
「俺だって同じ気持ちだよ。でも、次に会うときまで頑張れる理由ができた。今日はありがとうな。」
妻は静かに頷き、電車に乗り込んだ。窓越しに手を振る妻を見送りながら、誠一は胸にぽっかりと穴が空いたような寂しさを感じた。それでも、家族のため、そして自分自身のために前を向かなければならないと改めて思う。
電車が動き出し、妻の姿が見えなくなると、誠一は小さくため息をつきながら東京の冷たい空を見上げた。
「よし、頑張るか。」
その一言は、静かな決意のように彼自身を奮い立たせた。
新潟で待つ家族と、東京での忙しい日々。その間を繋ぐものは、妻との何気ない時間や優しい言葉だった。離れている時間は長いが、その絆が彼の人生を支える確かな力となっていた。
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