冬が本格化し、冷たい風が新潟の街を吹き抜ける季節だった。田中家のリビングはいつものように家族が集まり、笑いや会話が飛び交う和やかな空間だったが、最近、美咲が少し距離を置くようになっていた。夕食を早く切り上げて自室にこもり、家族の団欒にもあまり顔を出さない。
ある晩、誠一がリビングでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、妻がぽつりと言った。
「美咲、最近なんだか元気がないわね。部屋にこもることが多くなって…何かあったのかしら。」
「そうだな…。俺が聞いてみようか。」
「でも、そっとしておいた方がいいのかもしれないし…。」
妻の言葉にうなずきながらも、誠一は心配を拭えなかった。そこで、翌日、美咲が学校から帰ってきたタイミングを見計らい、彼女を誘って車で出かけることにした。
「どこ行くの?」助手席に座った美咲が尋ねる。
「ちょっと海まで。たまには景色でも見てリフレッシュしようと思ってな。」
冬の日本海は荒々しく、灰色の空と白い波がぶつかり合う。父娘はしばらく言葉もなく波音を聞いていたが、誠一が先に口を開いた。
「最近、元気がないみたいだけど、どうしたんだ?」
「別に…元気だよ。」美咲はそう言いながら、視線を海に向けたままだ。
「そうか。でも、もし何かあるなら話してほしい。お前が一人で抱え込んでるんじゃないかと思ってな。」
美咲は少し考え込むような表情を浮かべ、やがて小さくため息をついた。
「…お父さん、私、一人になりたい時があるんだ。」
「一人になりたい時?」
「うん。最近、学校のこととか、進路のこととか、いろいろ考えることが多くて。でも、家に帰るとみんながいて、話しかけてくれるのは嬉しいけど、なんか疲れちゃうの。自分の時間が欲しいのに、それを言うのが申し訳ない気がして…。」
誠一はその言葉を聞いて、小さく笑った。
「美咲、それは普通のことだよ。」
「普通…?」
「ああ。お父さんだってそうだ。東京にいる時、家族に会えないのは寂しいけど、一人でぼーっとする時間があるのも大事だと思うことがある。家族がいるのが嬉しいっていうのと、一人になりたいっていうのは、どっちも大事なんだよ。」
「…そうなのかな。」
「そうだ。だから、お前が一人になりたいと思うのは全然悪いことじゃないし、家族にそれを伝えることも悪いことじゃない。むしろ、そうやって自分の気持ちを大切にするのはいいことだと思うぞ。」
美咲は少し驚いたような顔をしてから、小さくうなずいた。
帰宅後、美咲は自分の部屋にこもるのではなく、リビングで誠一と一緒に少しの間テレビを見た。そして、食後のティータイムの時、静かに言った。
「お母さん、私、ちょっと自分の時間を大事にしたいと思うんだ。」
妻は一瞬驚いたが、すぐに優しく微笑んだ。
「もちろん。そういう時間も大切よね。もし何かあれば、いつでも言ってくれたらいいからね。」
それ以来、美咲は家族との時間と自分の時間をバランスよく過ごすようになった。ときどきリビングで家族と話す一方、部屋で静かに本を読んだり、プログラミングに集中したりする時間も増えた。
誠一は、娘が自分の気持ちに素直になれたことを嬉しく思った。同時に、自分自身も家族と向き合う時間と一人で考える時間を大切にしていこうと改めて感じた。
一人になりたいとき。それは家族がいるからこそ感じる大切な感情。田中家の絆は、そんな静かな時間を通じてさらに深まっていった。
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