田中誠一が東京から新潟に戻ったのは初夏のことだった。日差しが強くなり始めた空の下、リビングには高校生の娘、美咲がノートパソコンに向かい、何やら真剣にキーボードを叩いていた。
「今日は何を作ってるんだ?」と誠一が声をかけると、美咲は顔を上げて苦笑いした。
「実は…、学校の課題でアプリを作ってたんだけど、全然うまくいかなくて。」
「どんなアプリなんだ?」
「家計簿アプリ。簡単に収支を入力して、グラフで見やすくするものなんだけど、データが全然反映されないの。原因がわからなくて、もう嫌になる…。」
美咲は肩を落としながらため息をついた。その表情に、誠一は懐かしさを覚えた。自分も若い頃、似たような挫折を何度も味わったからだ。
「ちょっと見せてみろ。」誠一は美咲の隣に腰を下ろし、画面を覗き込んだ。
美咲が作ったプログラムは、見た目は整っているものの、どこかでエラーを抱えているらしく、入力したデータが正しく保存されない。
「これ、データベースの接続部分かな。ここでうまくデータを送れてないかもしれない。」誠一が指差すと、美咲は首をかしげた。
「え、本当に?ここ、合ってると思ったんだけど…。」
「そう思っても、実際に動かないなら、そこが間違いかもしれない。試しにログを出力して、どこまで動いてるか確認してみよう。」
誠一がアドバイスすると、美咲はすぐにコードを修正し、ログを出力する設定を加えた。プログラムを再実行すると、案の定、データベースへの接続でエラーが発生していることがわかった。
「ああ、やっぱりここか…。でもどう直せばいいんだろう。」美咲は悩みながらも手を動かし始めた。
父娘二人の共同作業はそれから1時間ほど続いた。美咲は誠一に質問をしながらも、自分なりに解決策を試行錯誤していった。そして、ついにプログラムが正しく動き始めた瞬間、美咲は目を輝かせて声を上げた。
「動いた!お父さん、見て!ちゃんとデータが保存されてる!」
「よかったじゃないか。」誠一は微笑みながら肩を軽く叩いた。
「でも、お父さんに頼らなかったら絶対無理だったよ。やっぱり私には向いてないのかな…。」
その言葉に、誠一は少し真剣な表情を浮かべた。
「美咲、エンジニアは失敗するのが仕事みたいなものだよ。」
「仕事が失敗…?」
「そうだ。最初から何でもうまくいくなら、誰もプログラムなんて書かない。失敗を繰り返して、それを解決するからこそ価値があるんだ。」
美咲は少し考え込むような表情をしたが、やがて小さく笑った。
「そっか。じゃあ、この失敗も価値があったってこと?」
「もちろんだ。それに、俺もお前に教えられたよ。どんなに経験があっても、新しい挑戦には失敗がつきものだってな。」
その夜、美咲はリビングでノートに何かを書き始めた。「今日の学び」と書かれたページにはこう記されていた。
- 失敗は怖いけど、それが成長の種になる。
- 問題を一つずつ解決すれば、必ず進める。
- お父さんみたいに、困ったときに冷静に考えられるようになりたい。
翌朝、誠一が東京へ戻るための支度をしていると、美咲が玄関で立ち止まり、言った。
「お父さん、ありがとう。次は自分だけで解決してみせるよ。」
「そうか。でも困ったらいつでも連絡してこいよ。それもまた学びだ。」
美咲は力強くうなずき、笑顔を見せた。その姿に、誠一は家族の中で確かに芽生えた成長を感じた。
東京への新幹線の中、誠一は窓の外を眺めながら思った。失敗は決して悪いものではない。それをどう捉えるかで、未来が変わる。家族も、自分自身も、これからも前向きな失敗を重ねていくことで、さらなる成長を遂げるのだと。
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